言葉を教える

2020年9月20日発行 第100号(2020年10月号)

コア英語教室は東京、大阪を中心に、中部、九州、四国にフランチャイズの教室があります。創業は1974年、古かぶの英語教室なのです。

各地に散らばっている先生たちを集めてのzoom研修会が昨日開かれました。研修は授業の改善についてや、先生自身の英語力アップなど、時おりおりの課題を持って定期的に開催されています。今回は、26年間自宅教室を運営されている横浜市青葉区あざみ野、コアホームワーク教室の北野先生の講義でした。

なぜ、北野先生に講演者の白羽の矢があたったかというと、先生の指導姿勢が「the コア英語教室」であったからです。コア英語教室の本来の流れを忠実にくんだ授業を展開されている先生のうちの一人だったからです。さて、1974年4月に発刊されたコア英語教室の最初のテキスト冒頭のまえがきより抜粋し、コア英語教室が目指す英語教育とはどんなものかをご覧ください。

 遠い外国のことば―英語もそのひとつです―を、日本の子どもたちに身につけさせようとするとき、わたしたちは大きな壁にぶつかります。
 ことばというものはやっかいなもので、その言葉の話されている国に住みつけば、だれでもいつの間にか自然に習得してしまうのに、その国を離れたところでの人工的な学習となると、ことばはとたんにその生命力をうしなって、味気ない疎遠な単語や、難解な文法規則の群と化してしまいます。中学から大学までの10年間をかけてさえ、多くの人にとって、結局は身につかず、中途半端な知識の寄せ集めに終わってしまうのが通例です。この100年の間に費やされてきた、多くの努力にもかかわらず、この壁はまるで永遠の壁ででもあるかのように、日本の外国語教育の前にたちふさがったままでした。
 そのことばの話されている国に住みつけば、いつの間にか自然に、そのことばを身につけてしまうということは、本来、人間にそなわっている言語生成能力は、ことばが人間の心を表現し、人間の心にむかって語りかけてくるもの、として存在している環境のもとでは、水を得た魚のように、その力をいきいきと躍動させ、ことばの習得を容易に実現してしまう、ということを示しています。
 ところが、それが”人工的な学習”の対象となると、たいへん困難な作業となってしまうのは、そこでは、ことばが人間の心を表わし、人間の心に語りかけてくるという本来の性質をうしなって、ことばの抽象的なモデル―つまり、生気のない単語や、文法的規則―の集積にかわってしまうため、人間の言語意識にはたらきかける生命力をうしない、かえって言語生成能力は、カキのように殻をとざしてしまうからにほかなりません。
 もし、英語がみずみずしい生命力をもって息づいている世界そのものを、手許に引き寄せることができたら!―わたしたちはあの壁を突き破って、この日本でこどもたちの中に、英語の自然な生成過程をみちびき出すことができるのです。

”CORE”Tape Library VOL.1 THE STORY OF LITTLE BLACK SAMBO & NURSERY SONGS:1

北野先生は講義の中で、ヘレンケラー自伝から、ヘレンが”water”という語の意味を学んだ際のくだりを日本語と英語の両方で朗読され、英語朗読の際、感きわまっておられました。ヘレンがポンプから流れ出す水の感触から、躍動する命のある語”water”を学んだように、北野先生もヘレンケラー自伝から、感情を揺さぶられる命ある言葉を受け取られたということでしょう。

子どもを教えていく中で、ヘレンとサリバン先生の間で起きたような劇的な出来事はそうそうおこることではありません。が、私たち英語指導者は子どもたちが躍動する命ある言葉を習得できるよう仕向けなければなりません。唯一、英語学習に命を吹き込むものは音声のほかにはありません。

音声の大切さを教えることは大変むつかしいことですが、くり返し言い続け、音声への取りくみを継続してゆけば、最後には躍動する言葉、生きた言葉がおとなになっていく子どもたちに残っていくことでしょう。

小学低学年の頃の見よう見まねの英語もどきだった音声を発していた生徒たちが、何作品もの英語物語を体験し、中学生になり、一瞬うっとりするような英語音声を発した時、英語の音声が子どもたちの心に確かに届いているなと感じるのです。

毎日の音読をかかさずに!