大恐慌時代とサーフィンと

お馬鹿でもシアワセ!

大恐慌・世界恐慌は1929年10月、NY証券取引所のあるウォール街で起こった株価の大暴落から始まった。メガサイズのブラックマンデー。日本でも、その連鎖と豊作飢饉、北海道・東北の度重なる凶作が重なって1930年から36年頃にかけては悲惨な状況が続いた。

当然、本国のアメリカは推して知るべし。“ホーボー(Hobo)”と呼ばれるホームレスの渡り鳥労働者があふれ、その日の食べ物を手に入れるのに四苦八苦したという。スタインベックの「怒りの葡萄」に描かれたのもそんな時代のことだった。

ところで、カリフォルニアでサーフィン三昧の我らがドン・ジェームズの生活とは?

The unglossed reality is no less dramatic. “Life in the Deypression was hard, but it encouraged us to appreciate what we had and to live simple lives. My dad scrambled to keep us afloat. It was never too bad for me because there was always the beach to turn to.”

ありのままの現実は、言うまでもなくドラマティックだった。「大恐慌のさなかの生活はたいへんだったけれど、あるだけのモノでシンプルに暮らす喜びがあった。オヤジは何とか僕たちの生活を支えてくれた。それにいつでも帰れる海があったから、まったく悪いものじゃなかったよ」

Don recounted tales of catching reef fish and pulling huge abalone and twenty-pound lobsters from the sea that were then boiled over beach fires.

ドンは、岩場の魚を捕まえたり、巨大なアワビや20ポンド(9kg)もあるロブスターを海から引き揚げ、ビーチで焚き火をしてボイルしたことを話してくれた。

He and his friends would raid orange groves for all the fruit they could eat.

(引用:SURFING SAN ONOFRE TO POINT DUME 1936-1942/ photographs by DON JAMES)

彼と友人たちはオレンジの森から食べたいだけの果実を頂戴すればよかった。

写真は、頭に巨大ロブスターの殻をかぶって、片手にビール。背後は海。お金はなくても、働く必要なし。(といっても働き口もなかったけれど)
「あくせくすんなって」と言ってるようなこのノーテンキな1ショット、大好きです。

アーロン先生の寸評(英語)